『キャリア・マネジメント』担当編集者に聞く
現在、「キャリア・アンカー」という概念は広くキャリア・カウンセリングの現場で活用されていますが、必ずしも本来の狙いに沿って使われていないようです。
さらに、CAREER ANCHORS Second Editionの刊行から25年、その邦訳『キャリア・アンカー』の刊行から12年経っており、その時代背景の変化を踏まえ、「キャリア・アンカー」の概念はどのように活用されるべきでしょうか?
今回の『キャリア・マネジメント』刊行に合わせ、このポータルサイトに「【シャインの業績はやわかり】キャリア・アンカー入門」を寄稿いただいたキャリア・カウンセラーの松尾順氏と、白桃書房の担当編集者の平 千枝子が、このようなテーマについて対談しました。
(編集:白桃書房編集部)
松尾(以下「松」): 今日は、CAREER ANCHORS(Fourth Edition)の邦訳版として刊行された『キャリア・マネジメント 変わり続ける仕事とキャリア』(3分冊)の編集を担当された平千枝子さんに、本書にまつわるお話をおうかがいします。
私自身、キャリアアドバイザーとしての活動の中でキャリア・アンカーについての研究・活用を行ってきましたので、私自身の考えを平さんに投げかけつつインタビューを展開したいと思います。
では最初から核心に入りますが、『キャリア・マネジメント 変わり続ける仕事とキャリア』を手に取られた読者の方に伝えたい「キャリアの本質」とは何でしょうか?
平:そうですね…。それは、「開かれた存在としてキャリアを考える」ということでしょうか。‘開かれた’ というのは、キャリアの形成は、キャリアを取り巻く社会・経済環境の変化や、所属する組織の在り方、上司や部下などとの人間関係に影響を受けるということです。つまり、個人としてやりたい職業・職種が何かだけを追求するのでは不十分であり、また、仕事の実体験もなく、自分自身だけで考えている自分の資質や適性だけでキャリアが形成されるわけではないということです。
松:なるほど、よくわかります。キャリアとは、単に自分と職業・職種だけとのマッチングではなく、働く職場、人間関係や変わりゆく社会・経済環境に対する適応でもありますよね。ですから、単に個人として「こんな仕事をしたい」と、自分の意思や適性だけ考えれば済むものではない。
平:そうなんです。社会や組織、他者との関係を踏まえて、「自分のキャリアをどうつくっていくか」を考える必要があるのです。すなわち、「開かれた存在としてキャリアを考える」ことが大事。ところが、最近は、社会や組織、他者との関係を考慮せず、自分のやりたいことをひたすら探すことにやっきになっている人が多いように思います。
松:つまり、自分の中に閉じてしまっているのですね?
平:はい、そうです。「閉じた存在」としてキャリアを考えてしまうと、終わりのない「自分探し」に陥ってしまいます。せっかく就職したのに、ちょっと自分に合わないと思ったらすぐに会社を辞めて、別の仕事に就く。職を転々としてしまってスキルや経験が積み重ならず、確固たるキャリアが確立できないのです。
松:自分にとって、より適した仕事を求めて転職することは決して悪いことではないのですが…。大事なことは、まずは目の前の仕事にどれだけ全力に打ち込むか、言い換えると、どれだけ適応しようとするか、ということだと私は思います。最初は「自分がやりたいこととはちょっと違うかな…」と感じた仕事も、まずはとことん頑張ってみて、コツをつかむと「この仕事は意外に楽しい、おもしろい!」と評価が180度変わることもありますからね。
平:小社の『キャリア・アンカー』を2003年に出した頃は、キャリアにおいて「自己実現」というキーワードが注目されるようになっていました。そして、仕事の中でも「自分らしさ」を大切にすべきということが強く意識されすぎてしまい、「仕事にどう適応するか」という考え方が弱まったように思います。
松:当時、『キャリア・サバイバル』も同時刊行されましたね。同書は、まさに開かれた存在としての個のキャリアを考える上で、個人のニーズと組織のニーズをいかにマッチングさせるかを考えるためのガイドブックでした。「キャリア・アンカー」が、個人のキャリアの根幹に置くべき、変わらない「核」を発見するツールである一方、「キャリア・サバイバル」は、現在所属している組織や仕事への適応を考えるツール。ですから、私は、この2つはキャリア形成の両輪を成すものだと思っています。ところが、キャリア・サバイバルはあまり注目されず、キャリア・アンカーのほうが人気を集めました。
平:はい、「自己実現」が注目される風潮の中、当時はキャリア・アンカーが自分探しのための、ある意味、単なる「診断ツール」として理解された嫌いがあります。すなわち、手っ取り早く自分のアンカーを特定して、「自分のアンカーに合った仕事を探すこと」に重きが置かれすぎたように思います。
しかし、本来望ましいのは、「セルフアセスメント(自己診断)」を実施するだけでなく、キャリアアドバイザーや、自分をよく知る身近な人との対話を通じて、自分自身の仕事に対する考え方や価値観も深く理解することです。そして、どんな職業・職種が向いていそうか、というより、どのような仕事の「やり方」をすることが自分のアンカーに即しているかを考えることが重要なのです。
松:なるほど。自分のアンカーに照らしてどんな職業・職種が向いているかということ以上に、どんな職業・職種であれ、「目の前の仕事に対してどんな姿勢で取り組むか」がポイントだということですね。たとえば、「起業家的創造性」のアンカーの人が、定型業務メインの職種に配置された場合、一見、その人のアンカーと職種はミスマッチに思えます。しかし、実は、仕事のやり方、すなわち「取り組み姿勢」によっては、その人の持つ創造性が発揮できるかもしれない。
平:はい、そうです。どんな仕事であれ、その仕事への取り組み方は個人差が大きく、多様です。「奉仕・社会貢献」のアンカーが強い人は、どんな職業に就いたとしても、おそらく人を助けるような行動を多く発現しているはずです。すなわち、キャリア・アンカーは仕事を通じて「大切にしたい価値」を再認識するためのもの。自分のアンカーが何かをはっきり理解し腹落ちしていると、自信を持って仕事にあたれます。また、さまざまな意思決定において、「自分はどうしたいか」が明確なので、判断がぶれないのです。
松:まさに、おっしゃる通りですね。さて、最新版であるCAREER ANCHORS(Fourth Edition)邦訳の『キャリア・マネジメント 変わり続ける仕事とキャリア』に話を戻しますが、この3分冊では、キャリア・サバイバルの要素、すなわち、組織や仕事といったキャリアを取り巻く環境への適応の観点が多く入っていますね?
平:はい、そうです。たとえば、『パーティシパント・ワークブック』では、役割マップという方法によって、現在の仕事を分析するプロセスが紹介されています。役割マップを用いることで、自分の仕事に関係する主なステークホルダー(利害関係者)が誰であり、彼らが何を期待しているかを理解できます。そして、どのようにして、彼らの期待を自分のキャリア・アンカーに合わせていけばよいかを明確にすることができるのです。
松:役割マップによって、自分のキャリア・アンカーを大切にしつつも、職場における他者、具体的には上長や同僚たちになるのでしょうが、そうした人たちの期待にどのように応えるべきかを考えることができるというわけですね。
平:はい。また、「ライフステージ」や「ライフバランス」を考えるエクササイズも含まれていますので、人生全体を含む形で多面的にキャリアを考えることができるようになっています。
松:なるほど。さて、そもそもキャリア・サバイバルの観点がより重要になってきた背景には、環境変化が激しさを増しているという現実がありますね。
平:『キャリア・マネジメント』の共著者であるジョン・ヴァン=マーネン氏は、私たちは「ブッカ・ワールド」と呼ばれる世界に住んでいるとインタビューで述べています。これはアメリカの略語で、変化しやすく(Volatile)、把握できず(Uncertain)、混沌とし(Chaotic)、複雑で(Complex)、多義的(Ambiguous)な世界という意味です。
グローバル化が進む現代、日本もまさに「ブッカ・ワールド」そのものであり、明日でさえ何が起こるかわからないという時代に私たちは生きているのです。変化のスピードがゆったりとしていた昔であれば、自分のアンカーに合う仕事を探し求めるのも問題なかったと思います。しかし、今はインターネット、コンピュータの進展が目覚ましく、新しい職業・職種が生まれる一方、従来の職業・職種がコンピュータに取って代わられ、消滅しつつある時代です。したがって、キャリアを取り巻く急激な環境にいかに遅れずについていくか、という意識が欠かせなくなっているのではないでしょうか。
松:おっしゃる通りだと思います。先日、テレビの特番で、仕事によっては、「人間がコンピュータを使用する」のではなく、人工知能が指示した仕事内容を人間が遂行する、すなわち、「コンピュータに人間が使われる」という現実があることを知り愕然としたことを思い出しました。
平:このように変化が激しく、未来予想が困難な時代においては、9つ目のアンカーというものがあるのでは?という意見も聞かれます。たとえば、「プロティアン・キャリア」と呼ばれる考え方があります。‘プロティアン’とは「変幻自在」という意味で、環境の変化に合わせて自分自身も柔軟に変化させていくようなキャリアづくりが必要である、というものです。この場合、自分のアンカーにこだわらず、仕事に必要とされるアンカーをその都度柔軟に発揮していくほうがいいかもしれず、それは8つのアンカーには含まれない、9つ目のアンカーと言えるのかもしれません。
松:とはいえ、環境に適応するためにアンカーにこだわらないことにして、うまく適応できたとしても、それが自分にとって幸せなキャリアと感じられるかどうかは疑問ですね。
平:その通りです。ただし、プロティアン・キャリアにおいても、柔軟に自分を変化させつつも、自分の大切にしたい価値観、自分らしさ、すなわち「アイデンティティ」を意識しておくことの重要性も説かれています。
松:なるほど、やはり「自分らしさ」というか、自分の価値観そのものを変えるわけではないのですね。
平:はい。シャインは、どんなに環境が変化したとしても、人の持つキャリアに対する価値観や取り組み姿勢は8つのキャリア・アンカーのどれかに収まると考えているようですし、いずれにせよ自分のアンカーをキャリアの根幹に置くべきものだと思います。
松:環境適応に必要なのは、アンカーの外側にある様々なスキル、たとえば、適切に自己主張できる能力=「アサーティブネス」であったり、逆境を乗り越える精神力=「レジリエンス」を身に付けることであって、キャリア・アンカーそのものを変化させるということではないのでしょうね。
平:前にも申し上げたように、キャリア・アンカーとは、仕事をどのような姿勢や考え方で取り組むかということであって、仕事をこなすためのスキルではないのです。だからこそ、「ブッカ・ワールド」、すなわち混沌として将来が不透明な時代であればあるほど、ぶれないキャリアづくりのためのキャリア・アンカーの重要性が高まっていると思います。
松:まったくその通りだと思います。ただ、キャリア・アンカーは、まだ本当の意味での仕事の経験がない学生が、セルフアセスメントでわかるようなものではない点が悩ましいところでしょうか。
平:そうですね。キャリア・アンカーは、様々な仕事を経験してみること、仕事のやり方をあれこれ工夫してみることを通じて、少しずつ実感していくものではないかと思います。。プロの野球選手やサッカー選手になった人たちのように、自分が小さいころからやりたい職業が明確で、その夢が実現する人は一握りです。それ以外の人は漠然とした仕事観のまま社会人になる。しかし、仕事を通じて、だんだんと自分が能力を発揮できる職種は何か、あるいは、どんな仕事のやり方がしっくりくるかが実感としてわかってきます。
松:はい、確かに。とすると、キャリア・アンカーを学生時代に受けることは無意味とは言いませんが、キャリアの節目、すなわち入社5年後とか、10年後に受けることで、実際の仕事体験を通じて輪郭が明確になっていくキャリア・アンカーを知ることが有効なのかもしれません。
平:漫然と仕事をたた続けるのではなく、キャリアの節目で立ち止まり、これまでどんな仕事をどのようにやってきたのかを振り返ることは大切ですね。自分自身が何を大切にしているのか、何にやりがいや喜びを感じるのかは、リフレクション(内省)を行うことによってわかってくるもの。キャリア・アンカーは自己理解を深め、よりよいキャリアづくりのためのツールとして活用してほしいと思っています。
松:『キャリア・マネジメント』の3分冊は、お手軽に読める本ではなく、また実践することに意義がある本だと思います。キャリアの本質が書かれていますから、まず熟読してほしい本ですね。多くの人が本書を拠り所として、幸せなキャリアづくりに取り組まれることを願っています。本日はどうもありがとうございました!
(2015年7月7日、白桃書房会議室にて収録)
松尾 順(まつお じゅん)
1964年、福岡県生まれ。早稲田大学商学部卒業後、マーケティングリサーチ会社、シンクタンク、広告会社でのキャリアを経てネットベンチャー起業を経験。2001年、シャープマインド設立。さまざまな企業のマーケティング課題解決を支援している。
また、自身がキャリアに悩んだ経験から、キャリア理論・カウンセリングやコーチング、心理カウンセリング等を学び、キャリアデザイン講師など、「キャリアアドバイザー」としても活動している。(有)シャープマインド代表、「マーケティング心理学」主宰