企業文化こそが企業経営の基礎─科学技術ジャーナリストによる『企業文化』書評
宇宙技術に関する著作を多く執筆・出版されている科学技術ジャーナリストの松浦晋也氏に『企業文化』の書評をいただきました。この書評をお願いしようと思ったきっかけは、松浦氏が執筆されたX線天文衛星「ひとみ」の事故報告書のレビューでした。宇宙科学研究所における組織文化の問題に注目しています。
この書評では、それに加え、1980年代に一世を風靡しながら業績悪化で他社に買収されたコンピュータメーカーDECにおける企業文化と盛衰の問題に注目されています。
成功した企業は、どこも固有の印象を他者に与えることに成功している。「先端技術に果敢に挑む」「製品の信頼性が高い」「どこよりも安い」というように。それらの印象は決して宣伝で作った虚像ではない。虚像ならほどなくして消費者に見透かされてしまうだろう。
固有の印象の根底には企業文化がある。企業の構成員がどのような文化を共有しているかで、その企業の運営の方向性が決まり、結果として外から見た印象も決まる。
では企業文化とは実際にどのようなものなのだろうか。
企業文化を構成する要素は何か、それはどのようにして生成・変遷していくものなのか、企業文化は企業の盛衰にどのような形で影響を与えるのか――本書『企業文化 ダイバーシティと文化の仕組み』は、企業文化に焦点をあてて組織論の立場から徹底した分析を加えていく。
著者のエドガー・ヘンリー・シャイン(1928~)はアメリカの心理学者で、長年に渡って組織論やキャリア開発といったビジネス社会における心理的側面の研究を展開してきた。特に『組織文化とリーダーシップ(Organizational Culture and Leadership)』(第1版は1985年刊、現在の邦訳は2010年刊の第4版)は、組織の特質を決めているものが、その組織固有の文化であるということを指摘して「組織文化」という概念を定式化した古典的名著だ。
本書は一般的な「組織文化」からさらに踏み込んで、営利事業を営む企業の持つ組織文化、すなわち企業文化について三部構成で考察していく。
第一部は、企業文化とは具体的にどのようなものなのかという分析を行う。第二部が企業文化がどのようにして発生し、発展し、変化していくのかの観察と考察だ。第三部は、合併や企業再編によって、異なる企業文化がぶつかった時に何が起きるかの調査である。この第三部では著者はさらに踏み込んで、複数の企業文化が並立する中からより良い企業文化を創り上げるための方法論を見いだそうとする。
巻末には著者と監訳者と他一名による鼎談が収録されている。監訳者が的確な質問を次々にしていく、なかなか秀逸な内容だ。本書を読み通す場合には、まずこの鼎談を読んでから冒頭に戻ると、著者による企業文化の分析や考察がより頭に入りやすくなるだろう。
本書には様々な企業の企業文化が、企業の運命にどのような影響を及ぼしたかの実例が掲載されている。なかでも著者が継続的に観察してきたコンピューター・メーカーのディジタル・イクイップメント・コーポレーション(DEC)の事例は、詳細に分析されている。1957年に設立されたDECは、創業者のケン・オルセンが自由闊達な企業文化を創造し、活力に溢れた企業となることに成功した。最盛期の1980年代、DECはアメリカを代表するコンピューター・メーカーだった。
ところが、パーソナル・コンピューターの出現でコンピューターの大衆化が始まると「プロフェッショナルのために最高の道具となるコンピューターを提供する」としてきたDECは、市場の変化に対応できなくなり、パソコン開発で失敗を重ねるようになる。最終的には、安価なエンド・ユーザー向けパソコンで業績を伸ばしたコンパック社に買収され、さらにコンパックがヒューレット・パッカード社に吸収されてDECは消滅した。
なにがいけなかったのか――著者は最初に、DECの「プロに最高の道具を」という企業文化は、裏に「素人にコンピューターを使いこなせるはずがない」という顧客への侮蔑を潜ませていたと指摘する。第2にDECには自由闊達さの結果として「有能な者は能力に相応する権限が与えられる」という企業文化があった。その結果、3人の技術職トップが三様のコンセプトでパソコンを作ってしまった。さらに「なにが良いものかは市場が決める」という企業文化のために、社内での絞り込みができずにこの3種類がそのまま市場に出てしまい、混乱を引き起こした。
DECの三系列のパソコンは、どれも最高の道具を目指しており、高価で品質過剰だった。急速に大衆化の進むパソコン市場に適合していなかったのだ。性能面での評価は高かったが、市場では支持されずコンパックなどの安価なパソコンに敗退してしまった。
このように著者は、企業文化が企業の盛衰に密接に関係していることを解き明かしていく。
評者にとって本書でもっとも刺激的だったのは、複数の企業文化がぶつかった場合、何が起きるかを分析した第三部だ。買収、合併、ジョイントベンチャーの結成など、複数の企業文化がぶつかる事例は数多い。国際的な企業連合ともなると、企業文化に加えて国民性までもが衝突することになる。良いとこ取りでよりよい企業文化が創造できれば最高だが、なかなかそうはいかない。
評者は、2003年に3つの宇宙関連政府機関(宇宙開発事業団、宇宙科学研究所、航空宇宙技術研究所)が統合されて発足した、宇宙航空研究開発機構(JAXA)という組織を継続的にウォッチしている。これら3機関はそれぞれ独自の組織文化を持っており、実際のロケットや衛星を開発する際の計画管理や安全確保の手法も異なっていた。統合以降、この14年間、組織文化がどのように相互浸透するかを観察してきたが、現状では最も構成人員が多かった宇宙開発事業団の組織文化が優勢になりつつあり、残念ながら良いとこ取りにはなっていない。これはいずれきちんと分析する必要があると常日頃感じていたが、そのための方法論を自分で思いつくことができなかった。
本書を読んで評者は、著者が展開する分析と考察の手順を踏襲すれば、宇宙三機関統合後の組織文化の変遷を分析できるかも知れないと感じた。本書が示すような良質の分析手法を採用すれば、的確な分析を行うことができるだろう。
ビジネスは財貨の流れからの理解が一般的だが、本書は構成員が担う文化に焦点を当て、企業文化こそが企業経営の基礎であることを解き明かしていく。大変スリリングな内容の一冊である。
松浦晋也(まつうらしんや)
ノンフィクション・ライター/科学技術ジャーナリスト。1962年東京都出身。現在、日経ビジネスオンラインで「宇宙開発の新潮流」、「介護生活敗戦記」を、「自動運転の論点」で「モビリティで変わる社会」を連載中。主著に『小惑星探査機「はやぶさ2」の挑戦』、『はやぶさ2の真実』、『飛べ!「はやぶさ」』、『われらの有人宇宙船』、『増補 スペースシャトルの落日』、『恐るべき旅路』、『のりもの進化論』などがある。
Twitter:@ShinyaMatsuura
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